八烈婦旌閣

全羅南道記念物 第8号

八烈婦旌閣

八烈婦旌閣
文化財指定日 : 1975.05.22.

8人の烈婦(節操が固く気性の激しい女性)を生んだ場所で、丁酉再乱(慶長の役)当時、夫が倭軍の凶弾で戦死したという悲報を聞き、投身自殺することで貞節を守った思いを称えるために建てられました。

丁酉再乱(1597年)の際、咸平郡月也面月岳里に住んでいた東莱・晋州の両鄭氏家中の婦女10人あまりが身をかくす中、現在の霊光郡白岫面大新里墨防浦の近海で倭軍の船に出会うと、汚されるよりむしろ義を重んじて死ぬことを決意し墨防浦の前の七山海に皆が身を投げ殉死しました。

その後の粛宗7年(1681)に国が旌閭を建てることを命じ、殉死した場所である霊光郡墨防浦の海岸に殉節碑が建てられました。これらの行跡は『東国新続三綱行実図』と『丁酉避難記』に詳しく記録されています。

八烈婦は、東莱鄭雲吉の妻・咸陽呉氏、晋州鄭咸一の妻・咸平李氏とその娘・鄭氏、晋州鄭主一の妻・咸平李氏、晋州鄭ジョルの妻・霊光金氏、晋州鄭慶得の妻・順天朴氏、晋州鄭希得の妻・咸平李氏、晋州鄭好仁の妻・咸平李氏です。

現在の旌閣は1986年に改築されたもので正面3間、側面1間の切り妻屋根で4面は朱塗りの門になっています。内部には 八烈婦の命旌板額や記文など10の扁額があります。

全羅南道 咸平郡 月也面 月也里 155-1