歴史

Hampyeong mountain

咸平の由来

咸平(ハムピョン)という地名は、朝鮮王朝太宗9年(1409)に咸豊県と牟平県を統合した際に、咸豊から『咸』の字を、牟平から『平』の字を取り『咸平』と名付けられたと言われています。

現在の務安郡海際面・玄慶面、光州広域市本良洞・林谷洞の一部、長城郡東化面の一部、霊光郡畝良面の一部までが咸平郡域でした。

咸平の歴史

  • 1895年  咸平県から羅州府咸平郡になった後、翌年にまた全羅南道咸平郡に戻されました。
  • 1963年1月1日  咸平面が咸平邑に昇格し、1邑8面を管轄しました。
  • 1973年7月1日  鶴橋面上玉、金谷、白湖、月松里を大洞面に編入しました。
  • 1982年  大洞面西湖里の分梅、湖亭、成丁、西辺、東湖村と霊岩里の水峴、水岩村が大洞ダムの建設により水没しました。
  • 1987年1月1日  咸平邑城南里の一部と鶴橋面四街里の一部が厳多面に編入されました。